麻布学院にも、過去、登校拒否で学校に行けない生徒たちが何人かいました。
塾に最後まで残った生徒たちは、学校にも通学できるようになり、高校生活においても同じく通学できるようになりました。
例をあげると
中1生中盤~中2生の前半まで登校拒否をしていた生徒が麻布学院に入塾してきました。
その生徒と真剣に話をし、生徒本人の将来について熱く話しました。
そして学校を休まない約束をし、それからは登校を続け、塾も休むことなく通い見事仙台一高に合格。
大学は東北大学に進学しました。
もう一人は、1年間で遅刻100回以上という午後からしか学校に行かない生徒が中2生で入塾してきました。
その生徒ともこのままであれば人生の危機であると何度も何度も話をし、他の生徒からその生徒が遅刻したことを聞きだしては怒り続けました。
最初の模試の数学は0点
人生において私は、初めて0点という答案を見ました。
5教科合計で78点。
しかし彼女は塾を絶対に休みませんでした。
最終的に彼女が得意教科となったのは数学。
模試で80点を超えました。
結果公立高校は駄目でしたが、聖和特進で特待生となり、北里大に進学し今は研究職として活躍しています。
もう一人は、2年と3学年で遅刻欠席を合わせて100日以上。
中3生になっても遅刻癖は治らず、それでも欠席はしなくなりました。
遅刻したり、欠席したりする度に怒り続け、人生を語り続けました。
そして彼は宮城一高に合格。
今まで麻布学院に入塾してきた生徒で登校拒否をしていた経験がある生徒が辞めてしまったのは2名のみ。
その2名も、塾には真面目に来てくれましたし、どうしても学校には行けなくとも、私との話し合いで何度も何度も学校に行こうとはしてくれました。
結果退塾してしまいましたが、私はその2名を評価しています。
生徒1名1名に登校拒否をする理由があります。
その理由をあらゆる手段で調べ、保護者に伝え協力し、いじめなどの場合は上級生、同級生、塾の保護者に協力をあおいで解決するように努力しました。
上の3人は成功例を上げただけと言う人がいるかもしれません。
ですが、はっきり言えるのは、登校拒否をしていても仙台一高などのナンバースクールに入れますし、私立になったとしても北里大学のような医学部理系の大学に合格できます。
怖がらずきちんと向き合うことが出来れば、人生を変えてくれる生徒も沢山いるということです。
私は塾開設当初、怒らない塾長でした。
その代わり嬉し泣きや悔し泣きを生徒の前でしてしまうどちらかといえば甘い人間でした。
私の人生を変えた出来事は、登校拒否をしてしまうことになるある生徒です。
塾開設当初、新中1生はわずか2名でした。
内心、もうだめかもしれないと悲観したものです。
しかし、その2名ともに定期テストで10位以内。
1人は2位とい成績。
嬉しくて仕方がありませんでした。
2位の生徒が在籍しているのは麻布学院であると聞きつけた定期テスト1位の生徒が、授業を体験してみたいと来てくれました。
受験問題で競わせて、3人とも楽しんで終わったあとすぐに定期テスト1位の生徒も入塾してくれました。
夏の模試では県内1位と県内2位のダブル。
それからは続々と入塾者が増え、20名を超えるまでになりました。
しかし、定期テスト2位、県内2位の生徒が突然登校拒否になってしまったのです。
塾には来ていたのですが、学校を休んだ癖に塾には行っているという心無い言葉が塾外の生徒に広まり、保護者も塾を休ませるようになってしまいました。
塾内の生徒たちは口をそろえて部活内のいじめが原因と私に教えてくれ、保護者にそれを伝えました。
彼は小学校の頃、病気がちで体力が無く、少しでも体力をと入部したのが県内でも全国レベルの選手を抱える部活でした。
当時、その部活は、公立中学でありながら部活のために越境してまで指導をあおぎたい顧問の先生がいた部活です。
積極的にスカウトのようなこともなさっていました。
その部活にまるっきり初心者で体力も運動神経も低い、勉強が出来る生徒が入部してきたのです。
からかいが横行し、勉強が出来るだけで受験ノイローゼという不名誉なあだ名で呼ばれ、上級生の補欠選手が顧問の目を盗んでは個人的しごきのようなことを繰り返していたそうです。
保護者に私が伝えたあと、保護者は顧問の先生に質問をしたところ、いじめは一切無いという返答でした。
その当時、その顧問の先生を中心とした保護者の集まりまであった時代です。
保護者もそれ以上声をあげることが出来ず、彼は病気であるという診断が下されました。
私は無念で仕方がありませんでした。
今、麻布学院があるのは彼のおかげです。
彼が引き寄せてくれた定期テスト1位の生徒の紹介で入塾してくれた生徒の多くは仙台一高に進学し、その生徒の兄弟姉妹も仙台一高です。
もう一人の生徒も、仙台一高に進学し、弟も仙台一高、保護者様の紹介で何人もの仙台一高、仙台二高の生徒をだすことが出来ました。
登校拒否を助けることが出来なかった生徒の弟妹も入塾してくれて、妹は二女に合格してくれました。
麻布学院はたった3人の生徒によって作られ守られ成長した塾なのです。
私はこのことがあってから、仙台一怖い塾を目指すことにしました。
怖い塾長がいる。
うるさい塾長がいる。
その噂によって、塾生がいじめにあう確率が減り、塾生がいじめにあったと聞けば、塾一丸となり対処して来ました。
自分の塾生がいじめに関与していれば何時間でも怒り続けます。
塾の生徒をいじめている首謀者の保護者と直接お話したこともあります。
私は誰に対しても、いじめには絶対引かない人間を目指しました。
自分にも他人にも常に厳しく。常に全てにおいて妥協せず。常に全てを正直に。
麻布学院を作ったのは私ではなく助けることが出来なかった彼なのです。
彼は将来がありました。
医者、裁判官、外交官。
彼が望めば叶った未来がいくつもあったはずです。
私は部活が嫌いなのではありません。
部活動を守るために嘘をつく人間や、隠し事をする人間が大嫌いなだけです。
そんな人間に人の道を語られても片腹痛いの一言です。
今はその顧問の先生も去り、私自身は塾生に何かが無い限りは不満も何もありません。
運動や部活が出来る生徒は褒め、勉強に集中する生徒は勉強ばかりでは駄目だとなじる。
そんな人間は大嫌いです。
しかし私はどちらも尊重します。
与えられた条件で、志望校に合格することを考えます。
今まで全校大会に出場した選手の全てが仙台一高と仙台二高に進学しました。
原因となった顧問がいる間に、その部活から仙台一高を何人も出しました。
私が今でも志望校に拘る理由、一切手を抜かず、本気で生徒に向き合う理由は助けることが出来なかった彼への贖罪もあるからです。
1人でも多くの生徒の夢を叶える。
それが麻布学院の最大目標です。
それには志望校合格が命題だと私は考えます。
生徒たちが思い描く未来を。
その手伝いが出来るこの仕事は素晴らしい仕事です。
麻布学院(宮城野区原町) 塾長ブログ 2018年2月18日