塾のあるべき姿

塾とは、学校の勉強を教える場所ではない、と私は思います。

なぜなら、一般的な公立中学校の定期テスト問題は、「家庭学習帳」「自主学習帳」「学校ワーク」から問題を出題する学校がほとんどだからです。

つまり、教材名があらわすように、「家庭学習」「自主学習」の範囲から出題される問題が多いのです。

それに、教科書主体の授業は、学校の先生の方がプロであり、出題も先生方が主体で作成されるものです。

定期テストについては、学校の授業を「真面目に聞く」「ノートをとる」「配布のプリントを学ぶ」、そして「家庭学習帳」を繰り返し反復する。

真面目に授業にのぞみ、当たり前のことを当たり前にできる生徒さんは、点数は取れるはずなのです。

定期テストの点数が取れない生徒さんは、必ず[当たり前な何か]をやっていません。

では、塾でやらなければならない事とは何か?

それは、「実力テスト」「学力調査」「模擬テスト」
そして当たり前に「受験」の点数をのぼらせることです。

よく聞く話ですが、

「定期考査は480点、実力テストは430点、模擬テストは410点。」

このような生徒さんがどの学校にも存在します。

なぜか?

このような生徒さんは、授業態度や反復学習などの分野では全く問題がありません。

しかし、定期テストプラスαの問題ができない、それを解くテクニックがない。
そして、定期テストが終わると、その範囲の復習をしていない。

これらの要因が考えられます。

具体例をだせば、中学校3年生で「公民」に入れば、定期テスト範囲は「公民」だけになります。

ですから、上記のような生徒さんは「地理」「歴史」をどんどん忘れてしまいます。

数学もそうです。
出題率の高い「一次関数」は、中学3年生になると、やはり復習しなくなってしまいます。
中学2年生で学ぶ「一次関数」と中学3年生で学ぶ「二次関数」は、問題を解くテクニックが違います。

この事例のような積み重ねが、「実力テスト」「模擬テスト」の点数を下げ、結果「受験の点数」をとれない事態を招きます。

麻布学院では、受験出題率の高い範囲を学年にしばられることなく、徹底的に学習できるため、「模擬テスト」「実力テスト」そして「受験」に強い生徒が誕生するのです。

「餅は餅屋」ということわざがあるように、塾には塾のやるべきことがあります。

餅屋に「家」は作れません。
餅屋の建てた「家」は、誰も望まないでしょう。

塾屋にも出来ることも出来ない事もあります。
しかし、望まれることがあるはずです。

塾屋に出来ることを真剣に、塾屋に望まれることを真摯に。

それが麻布学院の考え方です。

小学生無料講習について

寒さがまだまだ続くこの季節。

しかし、もうそこまで「春」は来ています。

「小学6年生」の入塾が多数あり、感謝の念と、身の引き締まる思いです。

そこで、三月になりましたら、「中学準備講習」を行います。

1週間の予定です。
参加費、テキスト代は無料。
参加者全員に、プレゼントをご用意します。

講習の最後に、学力チャレンジテストを実施。
こちらも無料です。

参加希望の生徒、保護者の方は、事前にご連絡下さい。

講習期間は、決まり次第「ホームページ」に告知いたします。

ご参加、お待ちしております。

麻布学院の信念

「信念」
それが揺らいでは、「自分」がなくなる。
それが揺らいでは、「個性」が消える。

集団の中にいれば、その中で「協調」や「妥協」が必要になる。
しかし、集団にいれば「安心」と「マニュアル」が手に入る。

私は大手塾出身

そこでの仕事
いかに生徒を増やすか。
いかに利益を上げるか。
宣伝効果をいかに効率よくするか。

運営と利益のマニュアル作り

大手にいれば、資金は豊富、
宣伝や知名度で生徒は集まる。

そこには、成績の良い生徒もいれば、そうでない生徒もいる。

生徒が数千人いれば、そのなかのだいたい百人は上位校へ、マニュアルに従うだけで、合格する。

それ以外の生徒は、自分の成績にあった高校を受験し、結果は塾の集計には含まれない。
何故なら、宣伝効果がないから。

確かに、この2年間の受験をみれば、「優等生タイプ」の合格率が高い。出身学校によって、合格率が違いすぎる。

だから、大手塾は、その教育意識の高い場所に、重点的に力を入れている。

私も、大手に残っていたのならそうしたと思う。

 

麻布学院を立ち上げてからも、何度もお誘いがあった。
それらの地域こそ、麻布学院を必要とする生徒が多いと・・・

だけど、私は違うと思う。それは違う。

人数が増えれば増えるほどに、成績の格差はひろがる。

人数が増えれば増えるほどに、個人ではなく、集団を尊重しなければいけなくなる。

麻布学院を立ち上げて、評定平均3.0の生徒を仙台一高に合格させたことがある。
彼は今、中央大学にいる。

小学生の時に、問題行動をおこした生徒がいた。
彼は、中学から心を入れ替え、道がかわり、仙台一高に合格した。
そして東北大学にいる。

二人は、他の保護者や他の生徒から、入塾をさせてはいけないと助言された生徒たち。

今では、彼らは私の誇りだ。

大手塾にいたとすれば、多分、彼らとの出会いは無かった。
彼らの人生も違っていたかもしれない。

個人塾は、どこも苦しいだろう。
幸い、麻布学院は、色々な方々のご尽力もあり、存続できている。

今まで在籍した生徒、一人一人を憶えている。
一人一人に思い出がある。

その思い出は「喜び」であり、「痛み」でもある。

この一人一人の思い出は、大手塾に残っていたとしたらなかったと思う。

大手には大手の良さがある。
麻布学院が、どんなに頑張っても、何千人は指導できない。
毎年、多数の合格者が生まれる。

それは素直に、凄いことだと思う。

ならば麻布学院は、違う道を行こう。
生徒と共に。

「ともに喜び」「ともに泣き」「ともに怒り」

一人一人の顔をしっかり見つめながら。