先生と呼ばれる仕事

先生と呼ばれる仕事。

医者、弁護士、議員、税理士、司法書士、教員。

全てにおいて、資格や選挙などの制限があり、誰でもなれる仕事ではない。

日本には、職業選択の自由があるが、この自由には、制限がある。

そして、この制限がある仕事の全てが「先生」なのである。

しかしながら、その先生の中で、誰もが制限なしにできてしまう仕事が存在する。

それが「塾講師」

最近は資格を導入しようという動きはあるが、それは、民間レベルの話であり、国家資格ではない。

学生であろうが、社会人経験が無かろうが、塾講師は採用されたり、起業した瞬間から「先生」なのである。

 

人間は、「先生」と呼ばれた瞬間から勘違いをする生き物。

自分が誰かを導くことができるなどと本気で思ってしまうものだ。

「先生」と呼ばれる仕事は、本来、尊いものである。

何故なら「先生」と呼ばれる仕事の全てが、「他人の人生」に大きな影響を与えてしまう職業であるからだ。

医師は命を。

代議士は国や自治体の未来を。

弁護士は個人の人生を。

 

誰かの人生や将来に、大きな影響を与える存在。

それが「先生」なのである。

 

その中で、最も簡単になれてしまう先生が「塾講師」。

 

しかし、日本の「先生」の始まりは、「塾」なのである。

有名なところで言えば

吉田松陰の「松下村塾」

杉田玄白の「天真楼」

緒方洪庵の「適塾」

政治や、医学に多大な影響を与えた「先生」の始まりは、私塾なのである。

 

つまり、我々、塾経営者や、塾講師は、吉田松陰や杉田玄白、緒方洪庵の流れをくむ職業を選択した訳だ。

そう考えると、塾講師は、重大な責任を持つことになる。

学業だけではなく、人間形成にも大きく関わる存在でなければならないし、なにより自分の意思や信念、業績や能力に厳格でなければならない。

 

私を含めた、塾業界の人間に、そんな気骨のある存在は果たして何人いるのだろうか?

偉人である塾の先輩たちのように、私財を投げ打ち、時には罪人となり、それでも信念で、後に続く者たちの育成に生涯を捧げる気骨ある人間が、何人いるのだろうか?

未だ私はその領域にはいない。

「先生」と呼ばれる仕事の根源が「私塾」であるとするならば、私が一番学ばなければならない存在で、努力をしなければならない存在なのだ。

 

吉田松陰、杉田玄白、緒方洪庵、勝海舟、本居宣長。

偉大な先輩たちの背中を追って、これからも努力を重ねよう。

 

塾とは、日本の根源を成してきた、歴史ある職業なのだから。