後4人何とかすれば・・・

 

公立高校受験コースの6名は、志望校合格が見えています。

とにかく学校の定期テストで100点台200点台の生徒たちなので、保護者から言われている公立高校合格もしくは私立の上位校合格(学院榴ヶ岡、宮城学院、東北学院、ウルスラtype2、聖和特進特待生合格など)を目指して安定させることを重視しています。

しかし、仙台一高・仙台二高コースで後2名。

この気持ちとやる気では、勝負にならないと思う生徒がいます。

評定は2名ともある程度高いので、志望校ランクを下げることもちらつき始めますし、1名はまだ部活が続いています。

他の生徒との整合性を考えれば、もう時間に余裕がありません。

私はなるべく生徒を見捨てないように、何とか合格のレベルまで引き上げるように努力をしているつもりです。

常に真剣に生徒が口にする志望校の一点のみを考え、点数が足りなけれ怒りもしますし、なるべく上位クラスから外れないように真剣にデータを管理しています。

しかし、それは生徒にとっても保護者にとっても迷惑に感じられてしまう時もあるのです。

志望校を口にしているだけで、努力は出来ない生徒もいます。

それを何とかやる気にさせるのがプロなのでしょうが、毎年2名~3名こういう生徒が生まれてしまい、悪戦苦闘している間に上げてあげるべき生徒が点数を落としてしまったり、自分の体力がきつくなったりしてしまいます。

今日は、最後の警告を込めて、私の人生における一番の悔いを包み隠さず生徒に話しました。

世の中、正しいこと、正義を貫こうとすれば必ず敵を多く作ります。

また、自分が正しいと思うことでも他人から見れば余計なことで悪になることも沢山あります。

力が無いものがそれを追求すれば、海に石を投げる如く小さな波紋は広がるでしょう。

しかし、すぐに大きな波にかき消され、忘れ去られるものです。

石を投げたことへの危険性を訴える人も出てきます。

石をなげなければ、気づいてもらえないという気持ちで多くの人にそれを知ってもらいたい、その一身で波紋をおこしたとして、その行動すら大きな側面からすれば悪だといわれてしまうことは沢山あります。

なにかの反響をおこすために海へ石を投げ入れるのならば、その海を埋め立てることができるぐらいの力を持たなければ世の中は変わりません。

小さな正義はいつしか全体にとっての悪とされて、正しいことをしたつもりがいつの間にか悪になってしまうことは世間に沢山あるのです。

本当に正しいことをしようと思うならば、我慢し、努力し、自分に出来る全てを尽くして力をつけて偉くならなければいけません。

私のような小さな個人塾の塾長の話など、大手塾の社長が紙面で話す絵空事のような字面にも勝てません。

影響力がないからです。

私は力がないために、正しくあるべき時に押し黙ることが多くなって来ました。

昔、大手企業にいたころと比べ、正しいことが自営業であるのに言えません。

大きい意味での正義に従う側にいつの間にかなっていました。

 

だからこそ生徒たちには正しいことをしたいならば目の前のこと1つ1つに全力を尽くし、自分の力となる物を沢山みにつけ、多くのことができるよう偉くなって欲しいと願っています。

それが政治家であるならば、人に刺さる言葉を学ぶべきで、高い学歴が必要です。

人脈もなしに世界を変えるような政治家になるには足がかりとして官僚になるのが近道です。

政治家にならずとも官僚組織で力をもてば日本や世界を変える何かに関われる人になれるかもしれません。

医者も同じです。

命という全ての国で大切だと教え込まれているものに、真正面から向き合える職業は限られています。

その手術1つが、処方1つが人間の命に関わっている大切な仕事です。

大学の研究者も同じです。

その研究がいつか世界を変えることもありえます。

何万人、何千万人、そして地球すら救う神の如き何かを生み出せるかもしれません。

 

しかし、それらの職業になるには、相当の努力と我慢が必要です。

今まで生徒を育てて、医者になった者も多数いますし、旧帝国大学で准教授になった人間もいます。

大学の代表として海外留学した生徒も沢山いますし、日本の数学界の代表として世界会議に出席した生徒もいます。

彼らはあますことなく中学生の頃、我慢と努力を重ね、全てに力を尽くしていた人間です。

 

彼らだけではなく、日本を代表する企業の研究部門や人事部門で活躍している生徒もいますし、法曹の世界に飛び込んだ生徒もいます。

日本の経済を支える仕事をすること、人の罪を裁く重責を全うすること、人を救うために生きること。

全てが素晴らしい生き方です。

看護士や保育士、薬剤師になった生徒も多数います。

教員も多数輩出して来ました。

みんなある一定の時期に人と関わり、影響を与える仕事なのに代わりはありません。

 

どの世界でも、我慢に我慢をし、正義を時に捨てても力を蓄え、影響力が出せる立場になるまで人間は必死になれて初めて正義が正義になるのだと私は思います。

こんな個人塾の塾長風情が正義を語る資格はありません。

悲しいけれど正しいことを正しいと貫くことができません。

 

生徒たちには、この塾を巣立ち、我慢と努力を重ねて正しい力を出せる立場になった卒業生に続いて欲しいと本気で願っています。

目の前の生徒が、将来、地球を飢餓や災害から救う科学者になるかもしれません。

今、目の前で足掻いている生徒が、将来、日本を代表して世界と渡り合う政治家になるかもしれません。

人を裁く正しい剣を振り下ろせる裁判官になるかもしれません。

多くの子供達に長年、影響を与え続け正しいことを正しいと生徒に言える教員になるかもしれません。

生徒の可能性は、年老いた私とは違い無限なのです。

 

しかし、受験というものは生徒たちからこの無限の可能性を奪ってしまう結果になることもあるのです。

全ての可能性ではなく、それは1つ2つの可能性かもしれない。

本人が今は全く望んでいない未来かもしれません。

しかし、正しいことを正しいと言えずに悔しい思いを積み重ね、夢の何個かを失ってしまった大人だからこそ、子供たちの可能性をできるだけ多く残してあげるべきだと私は思っています。

いつ、その生徒がその夢を口にするかわからない以上、可能性ができるだけ多い選択肢を何とか残すのが私の仕事だと思います。

 

それでも時間は有限です。

タイムリミットは来てしまいます。

何度伝えても解ってもらえない生徒が毎年数人います。

そしてそのリミットは突然やってくるものです。

あっけなく、全ての人の想いが無かったかの如く。

 

リミットは努力が足りない生徒や想いの弱い生徒から突然やって来ます。

その時は、私も全体の利益に目を向けなければならないんです。

今はまだ、可能性が残るかもしれません。

だから真剣に怒りますし、何度も何度も指導データを繰り返し修正しています。

 

ですが、データにリミットが見える生徒が今すでに3名います。

リミットを過ぎると彼らはこの先、今の苦しみなどでは到底追いつかない努力を何年間も自分に強いなければ、可能性を取り戻せなくなるのです。

人間は大半の者が可能性を1つまた1つと消してしまいます。

たった数人しか成し遂げていない特例を持ち出し、夢は叶うという人もいますが、そんな特例は運と凄まじい努力、人間的な魅力がなければ成し遂げられるものではありません。

 

私も多くのことに妥協し、夢や正義を失って今の仕事をしています。

自分ではこれでも努力してきたつもりですが、やはり最初の可能性が消えた瞬間が高校受験だったのは間違いありません。

そこの妥協や甘えが今に繋がり、正しいことを正しいと子供達に言えない自分を創ってしまったのだと思います。

努力しても私はここまでの人間だったかもしれません。

しかし、あの時もっと目標にしがみつけば、自分の行いを正す意味でも取り返す努力を死ぬ気でやっていれば。

同じ個人塾の経営者でも胸をはって正しいことを正しいと言えたかもしれません。

 

私は今でも出来るだけ正しいと思うことがしたい。

リミットまでは嫌われようが塾を辞めてしまおうが、その生徒の可能性はあると信じたいのです。

もう直ぐリミットです。

まずは模試でランクがギリギリ出ているが評定が低い宮城一高を目指す2名。

そして評定はそこそこあるが、意識が低く毎回模試でBランクしか出ない仙台一高・仙台二高を目指す2名。

これでも私はこの業界で諦めが悪い方の人間です。

最後の瞬間まで私は志望校に忠実な指導を心がけます。

 

しかし、リミットが過ぎれば周囲の言葉や模試の結果で生徒や保護者に動揺が走ります。動揺は諦めに繋がります。

なんとかこの4名を最後まで、1人でも多く引っ張って行きたいと思うのですが・・・

リミットが来るまで粘り強くまだやれる事がある限り、生徒にも自分自身も発破をかけたいと思います。

これが麻布学院塾長として、まだまだ捨てたくないちっぽけでも、無謀でも捨てたくない唯一の私に残された正義感なんです。

数字と結果に妥協すれば、私の正義はなくなり、麻布学院も変わってしまうと思います。

まだ出来ることがある。

まだ何とかなる時間だと信じて今日もデータを積み上げます。

 

正しいことを想いのままに。

将来そんな大人になってもらいたいと思います。

綺麗ごとではなく、独りよがりでもない、多くの人の見本になれる正義を貫ける人間になって欲しい。

そうはなれなかった駄目な大人の私が生徒に望むことです。

 

クラーク博士のように歳を重ねても志を捨てない人間になれと教育されながら、そうはなれなかった私に、今は重い言葉を贈ります。

その言葉を初めて目にした頃の希望溢れる1人の青年が、北の大地を踏みしめた頃に戻ってもう一度、自分自身に贈ります。

 

“Boys, be ambitious! Be ambitious not for money or for selfish aggrandizement, not for that evanescent thing which men call fame. Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be.”

 

麻布学院(宮城野区原町) 塾長ブログ 2018年9月13日