怒るということ

現在の塾業界で、「怒る」という行為はあまりしないと思う。

大きな塾であるなら、きちんとクラス分けがされており、入塾の時点で、ある程度の進学先を塾側が設定しているからである。

うちの塾のように、評定3.9の生徒を、仙台二高へという考え方はしないだろう。

 

逆に、個人塾は、各塾のホームページにある合格実績を見る限り、そもそも、上位校志望の生徒が少ないのだと思う。

 

上記のように、大手塾と個人塾の棲み分けがはかられ個人塾は、集団授業ではなく、個別指導に切り替えが進んでいるのだろう。

人手が足りない部分は、パソコンやタブレットを使った個別指導などを導入したり、大手塾とは違う客層を取り込もうと頑張っているのだと思う。

 

麻布学院の場合は、評定が低い生徒や、中途入塾の生徒でも、志望校が上位校なら、その高校を目指す指導をする。

その指導には努力が必要で、そういった生徒の場合、個別指導で、上位クラスの生徒達との差を縮める手助けをしなければならない。

 

その志望校を「本気」と信じて、その為に環境を用意し、費用も塾が負担する。

個別だからといって、授業料を上げたりはしない。

 

しかし問題はある。

評定が低い生徒や、途中から入塾した生徒は、どうしても上位クラスとの目標意識が違う。

本気で志望校に合格したいなら、この目標意識を変えなければならない。

 

学力も、上位クラスと比べれば、劣っている場合が多い。

であるならば、一番努力すべき生徒は、彼らなのである。

 

その場合、本気で怒らなければならない。

塾も本気で合格させようとしていることを示さなければならない。

 

入塾してみるとわかるのだが、生徒と私の距離は近い。

めったに怒らないからだ。

 

しかし、人生を大きく変えようとする人間が目の前にいるならば、私も本気で挑まなければならない。

 

私は、一番怖いのは、「怒る」ではなく「無関心」になることだと思っている。生徒の成績に「無関心」にはなれない。

怒るのは嫌いだ。その生徒が辞めてしまうかもしれない。

気持ちが伝わらなければ、「あの塾は怖い」と言われてしまう。

 

けれど、「無関心」でいていいのだろうか?

 

その子の「志望校」を「言ってみただけ」と勝手に大人が判断していいのだろうか?

塾屋が、現在の成績だけで「生徒の未来」をクラス分けなんてしていいのだろうか?

 

私は違うと思うのです。

常に生徒の気持ちを「本気」だと受け止め、受験の合否には、塾が一番責任を感じなければならないと。

 

塾屋は「本気」であるべきです。我々は公務員でも学生でもなく、成績を上げれなければ意味のない「塾屋」ですから。

 

怒るのって嫌いです。

体力も使うし、悪くも言われる。

本当なら怒りたくない。

でも、耳触りの良い言葉だけを言って、毎年毎年、ただ新しい生徒が入れ替わるだけの塾にはしたくないんです。

そんな無意味な歳の取り方は、断固としてしたくない。

 

だから、これからも怒ります。

生徒の未来と人生が、この一瞬にかかっているかもしれないから。

 

だから今日も明日も私は「本気」です。

無関心」にはなれないし、なりたくもありません。