桶狭間。長篠の戦。

 

 

今日でGW最終日です。

明日からは、また日々生徒と共に受験へ向かっての戦いが始まります。

5月11日から随時、保護者面談を行う予定です。

優先的に緊急性がある生徒の面談を先に入れるつもりです。

5月は、ある程度の目指す道筋を決めるために大切な月です。

6月の定期テスト、7月からの夏期講習。

ここが勝負の時です。

戦国時代に例えるなら、織田信長の桶狭間の戦い、長篠の戦。

豊臣秀吉の山崎の戦。

徳川家康の関ヶ原の戦い。

 

まさに天下分け目の戦いです。

ここを制した者が必ず受験も制します。

 

麻布学院の考え方は正に織田信長の考え。

「天下布武」

圧倒的な学習量で、圧倒的な学力を身に着け、圧倒的な精神力を養い、厳しく効率よく柔軟に、そして数字と結果を出し続け、合格を勝ち取る力強い1歩とするつもりです。

 

戦国時代、格式ある大名や、下剋上をとげた強かな大名たちは、鉄砲の価値に気が付きませんでした。

1発撃てば弾を込めるのに時間がかかり、雨では使用不可能で、しかも高額。

有名な武将たちは弓矢や槍を好み、騎馬での戦いが最も有利と言われていた時代です。

ですが、騎馬に乗れる兵士は名のある武将ばかり。

大多数である足軽小物は、徒歩で貧弱な武器での戦いを強いられていました。

その理由は、海の物とも山の物ともしれない足軽小物に、当時は高額であった騎馬を与える選択肢はなかったからです。

 

しかし織田信長は、その足軽小物に最も高額な最新鋭の武器である鉄砲を与え、訓練を重ねることで銃の連続使用方法を編み出しました。

つまり、織田信長の戦い方は、いかに弱者が敵の強者を倒すかという前衛的な考え方をしたのです。

そのために、訓練時間確保のため、当時主流であった農民を足軽小物として兵に加えることではなく、広く浪人を集め、今で言う傭兵部隊を結成したのです。

他の大名が、農民兵の農作業時期に戦いからお互いに撤退するという常識を壊し、行き場のない出世欲の塊である浪人を鍛えに鍛え、槍も戦いで使用する短い槍から、持つだけで防御になり、誰もが扱える長槍に変え、そして鉄砲を持たせました。

織田の軍は弱者出身の無名の兵隊を、誰もが戦え扱いやすい武器を使用させることにより最強の軍団をつくりました。

その傭兵部隊にいたのが豊臣秀吉であり、明智光秀であり。

古くから従えている柴田勝家や丹羽長秀などと競わせて士気を上げました。

 

麻布学院の戦い方は正にこれです。

最初は普通の生徒であっても、鍛えに鍛え社会理科という強みを与えて、数学英語という王道を地道に作りながら、国語は能力が高い生徒は受験問題で、国語力の低い生徒は宿題で。

つまり麻布学院の理科社会は信長の鉄砲長槍であり、数学英語は王道の騎馬であり、国語は個々の戦闘能力に合わせて鍛錬する肉体の強化です。

元々強い生徒ではなく、普通の生徒を最強に育てるため、信長の傭兵部隊と同じいつの時期でも鍛錬を行える体制。

それが麻布の毎日授業です。

 

麻布学院は、授業中は織田軍のように常に張りつめた空気を、自習時間は豊臣軍のように笑いの絶えない家族のような雰囲気を、そして保護者とは徳川軍のように長期的な話を。

それが麻布学院です。

 

戦国時代に敗戦して滅んだ大名は、格式や戦略、形式や作法、そのような物に拘った国々です。

理屈や理論が優れていても、孫子の兵法は鉄砲の前で何の役にも立ちませんでした。

その象徴が長篠の戦で「風林火山」の元、孫子の兵法と滅んだ武田勝頼です。

 

理屈や理論に優れていても、弱者を弱者のままで戦い方を教えず、大将格の武将だけがそれを知っていても戦い方が古いと以下言いようがありません。

 

織田信長が傭兵を雇い、稲刈りの時期の秋でも戦いをしかけることについて、相手大名は非礼だとか卑怯だとか、常識知らずだと罵りました。

しかし、常識や礼儀、慣習に従った敵国は全て滅びの道をたどりました。

 

理論武装とは、実績や数字や結果が出ていない人が過去の成功者の言葉や自分の理屈で他者を納得させる時に使う手法です。戦場では全く通用しません。

通用しているのであれば、三好家や足利義昭が天下をとったと思います。

麻布学院はやっと、15年間で桶狭間の戦い後の織田家ぐらいにはなれたと思います。

しかし、まだまだ弱小。

これぐらいの実績では、1~3教室の個人塾には勝てても、巨大な大手塾には勝てません。

今の麻布学院は、織田家がやったように広く生徒を募集し、鍛え上げ、そのなかから豊臣秀吉や明智光秀を誕生させる時期です。

 

受験理論好きや上を目指すつもりがない人は、麻布学院にむいていません。

織田信長の長篠の戦のように、足軽小物という低い地位であっても鉄砲という武器で主役になりたいという人にむいています。

鉄砲、洗練されるまで厳しい鍛錬が必要ですが、一度身につければ弱者にとって最強の武器です。

無名の足軽が、武田騎馬隊のの有名武将を次々に撃破したように。

 

私も織田信長と同じで、屁理屈のみで数字と結果を出せない人間が好きではありません。

そういう人間は、昔でいう孫子の兵法などの他人に広く知られる知識を引用し、それを自分の考えのようにまとめて公表するのがうまいだけです。

 

麻布学院のデータは全て、卒業生、在校生の生の数字です。

麻布学院は違います。実力ある者が実力を最大限に発揮できる塾です。

「天下布武」

弱者が戦い方を身に着け、武器が出来れば自ずとどこの学校でも戦えるものです。

それが麻布学院15年間の歴史で仙台一高93名

仙台二高16名

ナンバースクール全てで159名。

上記の生徒達はきちんと大学受験でも結果を出しています。

 

ちなみに麻布学第一期生のナンバー合格者は現在。

仙台一高⇒山形大法学部⇒司法書士

慶応女子⇒東大理Ⅲ⇒医師

仙台一高⇒岩手大学獣医学部⇒研究室

宮城一女⇒東大理Ⅲ⇒医師

全員成功していると思うのですが。

 

麻布学院(宮城野区原町) 塾長ブログ 2018年5月6日