https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180116-00000096-jij-pol
政府から上記のような方針が出されました。
時代の流れを我々大人も認識すべき時代なのかもしれません。
重大事故が起これば、学校側が許される社会ではないということです。
部活の事故も、いじめの問題も、一度起きたら瞬く間にネットなどを通じて、社会に伝達される時代です。
部活というものは、集団の連帯感を出すことに素晴らしい貢献をしてくれます。
麻布学院は、勉強ばかりのイメージがあるかもしれません。
過度な部活については、個人的に意見は持っています。
しかし、それならそれで学業と両立させるのが私の仕事です。
過去、260名の在籍生徒の中で
野球日本代表1名、サッカー日本代表1名、サッカークラブチームキャプテン1名、剣道全国大会1名、野球全国大会3名、テニス全国3位、空手全国大会1名、ラグビー東日本大会1名。
全国大会だけでこれだけの生徒を輩出しています。
そしてその全員が仙台一高と仙台二高に進学しました。
上に書いたような、全国レベルの選手の練習量は凄まじいものがあります。
ですから、普通の生徒たちよりも進学の条件は厳しいものになりがちです。
普通であれば部活の功績で私立高校に進学する生徒も多いことでしょう。
しかし、麻布学院は与えられた条件の中で、両立を実現させることを徹底します。
偏差値27の生徒が仙台一高を目指すのであれば実現させるプログラムを組みます。
部活やクラブチームも同じです。
限られた時間で成績を上げなければならない状況で、最善のプログラムを組みます。
ですから、今まで全国大会レベルの生徒全員を仙台一高と仙台二高に送り出すことができました。
麻布学院にとって、部活がどうであろうが、それを言い訳に学力を上げることが出来ないという免罪符を使用する事は恥でしかありません。
全国大会レベルの生徒だからこそ、麻布学院は必要なのだと思っています。
部活もこれからの時代と共に変化していくのでしょう。
今の社会は全てをルール化しなければならない程、事故やいじめには過敏です。
それは当たり前に素晴らしいことであり、事故もいじめも絶対あってはならないものです。
そのルールを運用する世代が、ルールなど無かった時代、今の時代に適応が難しい我々の世代です。
ルールは絵に描いた餅になることもあります。
しかしながら、今の時代は常に監視されている時代だということを忘れてはなりません。
事が一度おこれば、すぐさま情報が拡散して学校全体の姿勢を問われる時代です。
我々、ルール無き部活世代にとって大変な世の中かもしれませんが、それが時代です。
対応しなければなりません。
私のように成績を上げることだけに集中出来る塾経営者と違い、学校の先生は大変です。
塾は生徒が嫌になれば辞めることを選択できますが、学校はそうはいきません。
ですから今の時代の先生たちは社会ルールで縛られ、成果や結果をだすことも求められご苦労されていると思います。
時代の変化に適応しなければならない最前線が学校教育ですから。
ですから、現場が適応しやすいよう、政府や自治体もルールを明確化すべきです。
そうでなければ現場は混乱します。
いじめにしろ、部活の事故にしろ、厳格で明確なルールが必要です。
被害にあうのは我々大人ではなく、将来にいくらでも希望がある若い世代の子供達ですから。
運用する側が混乱しない厳格で明確なルールを国や地方自治体が決めるべきだと私は思います。
ことがおこった時、先生個人や学校単体が責任を問われる世の中ではなく、国や地方自治体の責任も問われるような世の中にならなければ、部活中の事故もいじめの問題も解決しないと思います。
生徒を守ることを第一に考え、現場が混乱しないルール作りとサポートを国や自治体が率先して行う。
現場とルールを作る側が連帯して責任を負う。
そうでなければ現場の負担と混乱が増します。
先生個人や学校単体で責任を問われ、国や自治体は第三者的な立場で公表し頭を下げるのみ。
それではあまりにも無責任です。
大田原高校のなだれ事故で生徒が多数犠牲になった時、私は強くそれを思いました。
いじめによる痛ましい自殺の報道を見るたびに思いは強くなります。
もし、私の塾の生徒が、いじめで自殺したとすれば、そのことに気づいてあげられなかった自分許せずに塾をたたみます。
この塾の最高責任者は私です。
いつの時代もその覚悟は出来ています。
しかし、学校教育において最高責任者は自治体の首長であり、それを管轄す文部科学大臣です。
責任を先生個人や学校単体で問うのは間違いだと思います。
部活にしろいじめにしろ、ルールを決める側が責任を問われず、運用する現場ばかりが責任を問われる。
それは絶対に間違いです。
私のような小さい個人塾の経営者では社会を変えることなどできません。
ですから生徒たちには、世の中を変えることが出来るような大きい大人になれと教えています。
努力をして、世の中の中枢に入り、そこから正しいことが出来る人間になるよう教え込んでいます。
私のような中途半端な大人にならず、正しいことを正しいと言える立場の大人になりなさいといつも教えています。
私の塾出身で、過疎地域に赴任した教員で、周囲に塾がない現状をみて放課後生徒を教え、生徒全員のテストの点数を100点にするまで放課後授業を続け、生徒全員に「よく出来ました」の評価を出した教員がいます。
彼の放課後授業には、それ以来、全学年の子供達が来るようになりました。
その功績が認められ、彼は教育行政の中枢に今はいます。
これから、何度も苦労をするでしょう。
しかし、彼のような人間が中枢のトップになれば社会は変わると思います。
以前、麻布学院の保護者に、仙台市の市議会議員をされている方がいました。
面談で私と宮城県の学力の低さで激論となり、そのことを忘れず、議会において学力調査の全校実施を実現に尽力してくれた方がいます。
「先生に言われた事が悔しくてきちんと私も出来うる仕事をしました。」とわざわざジョギングの最中に塾に寄って報告してくださいました。
私はその時も、正しいことが出来る人の存在を実感しました。
生徒たちには、そういう正しいことが出来る人間になって欲しいと思います。
そうなるには今、この時に努力をしなければなりません。
私も教え続けることが仕事です。
学校の先生方は大変です。
やるべきことが沢山あり、体罰、モラハラ、ブラック部活、モンスターペアレントなど、次々に新しい価値観が生まれる時代です。
そんな時代だからこそ、行政による厳格で明確なルールが必要です。
言葉だけが曖昧に先行し、定義の線引きがなされないまま、責任を問われる立場となるなら混乱して当たり前です。
まず第一に、生徒の被害を出さない厳格で明確なルール。
ルールを運用する現場のサポート。
ことがおこった時の責任の所在と連帯的な責任のあり方。
きちんと中枢にいる人々が考えて欲しいと思います。
私のような力なき者の言葉では社会は変わりません。
将来、麻布学院を巣立った生徒たちが、努力を実らせ、国や自治体、企業や政治、医療や法曹界で活躍し、社会を変えることが出来る人間になって欲しいと思います。
生徒たちにはことあるごと、今、社会で活躍する元生徒たちの話をして、社会を変えることが出来る大人になって欲しいと教えています。
あるドラマで使用されたセリフです。
「正しいことがしたければ偉くなれ」
私もこの言葉を実感する年齢になったんだと最近しみじみ感じます。
麻布学院(宮城野区原町) 塾長ブログ 2018年1月17日