麻布学院が開校して14年の歳月がながれました。
最近では生徒数もおかげさまで安定し、軌道に乗ることができました。
麻布学院が開校当初、この地域に一番近い中学校は危機的な状態でした。
仙台市が実施した学力調査で、仙台市内の中学校の中で最下位となっていました。
当時の校長先生が、保護者参加の集会で事実を公表なされました。
仙台一高に合格する生徒は数年間1人から2人の状態。
そのような環境でした。
私は、どうせ塾を開校するのであれば、困難な地域で自分たちの力を試したいと思っていました。
ですから、先に書いた校長先生の話を耳にして、すぐこの地域に塾を開校しました。
当時の私は、まだ若く怖いもの知らずな面がありました。
初年度は仙台東や仙台南を志望しているが入塾してくれましたが、誰一人、仙台一高や一女、二女を目標にする生徒はいませんでした。
初年度は、その状態から必死で生徒達に目標を高くすることの重要性を毎日毎日話し続けました。
徐々にその効果が出始め、数人の生徒達がトップ校を目指してくれるようになりました。
その中の1人が新みやぎ模試で県内1位を獲得すると、生徒全員の士気も上がりました。
生徒達の頑張りもあり、初年度に仙台一高2名、宮城一女1名の合格者を出すことが出来ました。
その後3人とも、高校でも頑張ってくれて全員が国立大学に進学し1人は東大の理Ⅲに合格しました。
初年度の生徒達には今も感謝しています。
その時の記憶と思い出があるので、それ以降も私は自分を信じ、講師を信じ、生徒達や保護者を信じて変わらず14年間やってこれたと思います。
今年も模試の成績が偏差値30台で入塾した生徒がいても、信念のままに鍛えて偏差値66までもってきました。
昨年も評定150点台(評定平均3.9)の生徒達を仙台一高と仙台二高に2名送り出しました。
サッカー日本代表、フットサル全国優勝の生徒も仙台一高に送り出しました。
テニス全国大会3位の生徒も仙台一高に送り出しました。
剣道全国大会出場の生徒も仙台一高に送り出しました。
空手全国大会出場の生徒も仙台一高に送り出しました。
野球世界大会出場の生徒も仙台一高に送り出しました。
塾を開校以降唯一、東北高校の文教に進学し生徒を、法政大学に送り出しました。
新みやぎ模試の県内1位を24名、14年間で輩出できました。
105名の仙台一高と仙台二高の合格者を出すことができました。
全ての始まりが、初年度、無名の個人塾に入塾し、何の実績もない私を信じ夢をいだいてくれた生徒達と保護者の皆様がいてくれたことだと思っています。
無謀な若造であった私を信じてくれた人たちがいてくれたことが、今の麻布学院の姿につながったのです。
最近、よく昔を思い出します。
塾に泊まり込んで、生徒がいつ来てもいい状態でいた私。
朝の5時に塾に来て夜遅くまで生徒を教え続けてくれた講師。
合格発表の日に、合格できなかった生徒の涙に「もううんざりだ」と泣きながら天井を見つめて動かなくなった講師。
合格発表に日に、合格できなかった生徒の涙に夕方から深夜1時まで窓からの景色を眺め動かなくなった講師。
私は本当に泣いてばかりでした。
生徒の成績が上がれば感動して泣き、生徒の成績が落ちれば必死で生徒に向き合い泣き、合格発表の日は、何時間も泣き続けていました。
今の私は当時の講師達、生徒達、保護者の方々に恥じ入る事はないのか?
泣き虫では無くなったけれど、あの頃と同じ気持ちで生徒達に接しているのか?
変わらなければならない物は沢山あります。
でも、変わってはいけない物も沢山あります。
今の私はどうなのか?
最近は毎日、初年度の生徒達や講師と撮った写真を見つめながら考えています。
塾の成績は格段に上がりました。
それなのに、昔の自分を思い出してしまいます。
本当に最初は何もなくて、生徒や講師と泣いて笑って。
たった14年間で今はこんなにも恵まれた環境で。
だけど、昔の自分を思い出す時間が増えました。
過去の自分や講師達、そし生徒達に恥じない自分でいたいと思います。
今日は少しだけ、成績や数字と結果から離れたブログになってしまいました。
麻布学院(宮城野区原町) 塾長ブログ