もう中3生の受験が始まりました。
先日の関東私立受験をした生徒を皮切りに、1月25日(私立A日程)⇒1月27日(私立B日程)⇒2月1日(公立前期)⇒2月9日(前期合格発表)⇒2月19日(仙台高専)⇒2月24日(最終倍率)⇒2月27日(仙台高専合格発表)⇒3月8日(公立後期)⇒3月16日(後期合格発表)
高校3年生のセンター試験も1月15日にあります。
私の頭は、常に受験モードの状態です。
最も1年間でピリピリする時期に突入。
受験は、塾の真価が問われる最大の試練です。
生徒の努力を合格に結びつけるためにも、この時期は、寸分のミスも許されません。
どんなに良いことを言おうが、生徒を落としてしまった瞬間に、その言葉の全てが「綺麗ごと」に変わります。
どんなに模試で結果を出しても、生徒を落としてしまった瞬間に、その結果の全てが「まやかし」に変わります。
生徒を落とした瞬間から、その生徒に対し私が発する言葉の全てが「言い訳」になってしまいます。
塾に求められるものは「過程」ではなく「結果」です。
「結果」とは「合格」です。
塾長という仕事は、この結果の責任を全て負う仕事です。
塾を義務教育の延長のように勘違いしてはいけない。
自分を学者だと勘違いしてはいけない。
受験結果を流れ作業のように、受け止めてはいけない。
どんなに生活指導に優れていても、どんなに知識があろうとも、塾にとって受験結果が全てです。
生徒指導力は、受験に向かう生徒の努力を促すために必要であり、知識は、受験に対する情報の提供のために必要です。
しかし、それらだけに特化し、しがみつく事は出来ません。結果に結びついてこその指導力であり、情報知識だと思うのです。
確かに塾長が、毎年の受験結果をずっと引きずれば、精神が耐えられなくなると思います。しかし受験結果から自分の心を守るために、ただの年間行事だという感覚になるべきではありません。
塾にとって、受験は毎年来るものだとしても、生徒にとっては一生に一度の高校受験です。
結果を重く受け止め、自分に何が足りなかったのかを考え、自分自身の、そして塾の改革を毎年行わなければなりません。
生徒達は、この時のために努力をし、耐えてくれたです。
保護者も、この時のために生活を切り詰め、塾代を払い続けてくれたのです。
塾は最後の最後まで手を抜く訳にはいきません。
最後の1秒まで成績向上のため、塾は努力をしなければなりません。
ですからこの時期の私の頭は、起きている時間の全てを受験に傾けています。
生徒達により良い未来を。
そのために出来る事を最後の最後まで。
最後の1分1秒まで。
それが麻布学院の塾長として私が思う、嘘偽りの無い気持ちです。
今日も張り切って授業に入ります。
麻布学院(宮城野区原町) 塾長ブログ 2017年1月9日