麻布学院の信念

「信念」
それが揺らいでは、「自分」がなくなる。
それが揺らいでは、「個性」が消える。

集団の中にいれば、その中で「協調」や「妥協」が必要になる。
しかし、集団にいれば「安心」と「マニュアル」が手に入る。

私は大手塾出身

そこでの仕事
いかに生徒を増やすか。
いかに利益を上げるか。
宣伝効果をいかに効率よくするか。

運営と利益のマニュアル作り

大手にいれば、資金は豊富、
宣伝や知名度で生徒は集まる。

そこには、成績の良い生徒もいれば、そうでない生徒もいる。

生徒が数千人いれば、そのなかのだいたい百人は上位校へ、マニュアルに従うだけで、合格する。

それ以外の生徒は、自分の成績にあった高校を受験し、結果は塾の集計には含まれない。
何故なら、宣伝効果がないから。

確かに、この2年間の受験をみれば、「優等生タイプ」の合格率が高い。出身学校によって、合格率が違いすぎる。

だから、大手塾は、その教育意識の高い場所に、重点的に力を入れている。

私も、大手に残っていたのならそうしたと思う。

 

麻布学院を立ち上げてからも、何度もお誘いがあった。
それらの地域こそ、麻布学院を必要とする生徒が多いと・・・

だけど、私は違うと思う。それは違う。

人数が増えれば増えるほどに、成績の格差はひろがる。

人数が増えれば増えるほどに、個人ではなく、集団を尊重しなければいけなくなる。

麻布学院を立ち上げて、評定平均3.0の生徒を仙台一高に合格させたことがある。
彼は今、中央大学にいる。

小学生の時に、問題行動をおこした生徒がいた。
彼は、中学から心を入れ替え、道がかわり、仙台一高に合格した。
そして東北大学にいる。

二人は、他の保護者や他の生徒から、入塾をさせてはいけないと助言された生徒たち。

今では、彼らは私の誇りだ。

大手塾にいたとすれば、多分、彼らとの出会いは無かった。
彼らの人生も違っていたかもしれない。

個人塾は、どこも苦しいだろう。
幸い、麻布学院は、色々な方々のご尽力もあり、存続できている。

今まで在籍した生徒、一人一人を憶えている。
一人一人に思い出がある。

その思い出は「喜び」であり、「痛み」でもある。

この一人一人の思い出は、大手塾に残っていたとしたらなかったと思う。

大手には大手の良さがある。
麻布学院が、どんなに頑張っても、何千人は指導できない。
毎年、多数の合格者が生まれる。

それは素直に、凄いことだと思う。

ならば麻布学院は、違う道を行こう。
生徒と共に。

「ともに喜び」「ともに泣き」「ともに怒り」

一人一人の顔をしっかり見つめながら。