今日の明け方、オリンピックで「吉田沙保里選手」が、決勝で敗れました。
オリンピックには絶対などないと、理解していても、やはりショックでした。
彼女には、レスリング選手代表の主将、オリンピック四連覇の期待、前日、チームメイトの三階級金メダルという結果。
そしてなにより、「吉田沙保里は負けない」「負けるわけがない」という、日本中の、ある意味常識じみた風潮に、とてつもない重圧があったのでしょう。
そして、それが「自分は勝たなければならない」という責任感につながり、自分を追い詰めていたのだと思います。
そんな重圧と責任感がかかるオリンピックで、「銀メダル」という結果は、私のような者にとって、素晴らしい結果だと思うのです。
しかし、吉田選手にとっては受け入れ難い、悔いが残るオリンピックになってしまったのでしょう。
私も、舞台は違えど、毎年、同じような重圧と責任に、押しつぶされそうになります。
受験とは、「生徒の人生」
その人生を変えてしまうかもしれないのが、塾という仕事。
良い方に変えてあげることが当たり前の仕事。
「受験に絶対はない」
わかっていながらも、「絶対に合格させてあげなければ」「合格させてあげなければ塾など意味がない」
毎年毎年、重圧と責任感に苛まれます。
そうしていくうちに、自分自身を遥かに超えた、大きな自分を演じてしまい、本当の自分と理想の自分のギャップに苦しくなります。
そして、毎年、合格発表の日に、大きな自分を演じていた、本当の小さな自分が、果たせなかった責任と、自分が自分に課していた重圧に耐えられないという気持ちになります。
「受験に絶対はない」
理解していても、それを受け入れられない自分が、自分にとって、身の丈にあわない重圧と責任を与えます。
でも、その重圧と責任を放棄したら、自分がなくなって、もっと小さな自分になってしまうと思うのです。
多分、形は違えども、吉田選手は、これから指導者として、もしくは現役として、その重圧と責任を与え続け、必ずリベンジする人だと思います。
彼女は大きな人だから。
私も、本当の自分がどんなに小さな人間でも、思い描く、大きな自分に少しでも追いつけるように、重圧と責任を自分に課していきたいと思っています。